幸福なんて勘違いから生まれることだってある。

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「それって本質的じゃないよね」
 
誰かが何かについて語っていると、さも自分は本質を見極めているぜといった風に口を挟むクソうざい奴がいる。
 
そう、僕だ。
 
僕はいつもこの論法で家族・友人・恋人を辟易させているんだが、
(毎回毎回、愛想を尽かされて恋人に振られる理由は恐らくこれのせいだ)
 
我ながらツッコミの一つもいれたくなる。
 
お前に一体何がわかっているのかと。
 
この前も家電量販店の音響コーナーでハイレゾ音源を視聴して、
 
「いやーやっぱハイレゾ音源は違うね」
 
などとドヤ顔で視聴していたわけだけど、比較用の従来の音源だったし。
 
この事件を自分の愚かな聴力のせいにしないために、ハイレゾ音源は本当に聞き分けが可能なくらいに差があるかを調べたら、
 
「聴きこんだら全然違うという」
「オーディオオタクでもなければ普通に聴いたら変わらん」
 
など意見もそれぞれだったが、その中にこんな興味深い意見があった。
 
「音質の差異を聴き分けられるかが問題なのではない。自分が好きな音楽をわざわざMP3ではなくFLAC(ハイレゾ音源の規格の一つ)で曲を入手し、最高音質で聴いているという満足感が大事なんだ」と。
 
 
「それって本質的じゃないよね」
 
 
ここでこそ言わなければいけないポイントだったのだが、僕は思った。
 
 
「それな。」
 
 
僕らが音源に高音質を求めるのは、そのほうが音楽を聴く満足度が高いからだろう。
 
満足度があればいいのなら極端な話、別に本当に高音質なことが重要なのではなく、自分が満足できてさえいればいいのだ。
 
勘違いなはずなのに、実際効き目があるように錯覚する効果のことを”プラシーボ効果”というのを一度は耳にしたことがあると思う。
 
プラシーボとは”偽薬”という意味で、プラシーボ効果とは患者に効果のない成分を注射しただけでも、実際に治療効果がある場合があることを指す。
 
つまり僕がハイレゾ音源なんだから音質がいいに決まっていると認識していればそれがMP3音源でもよく聴こえてしまうのは、決して僕の聴力の問題ではなく、まさしくプラシーボ効果なわけだ。
 
うん。そうだ。そうに違いない。
 
 
そう思うと、僕らの幸せだと感じる瞬間の多くはプラシーボ効果が大きい気がする。
 
愛娘が一生懸命つくってくれたホットケーキは一流パティシエのケーキよりもうまいし、
 
手塩にかけて育てた庭の薔薇は一流の庭師が世話した薔薇園のそれよりも美しいし、
 
この味がいいねと君がいったらサラダ記念日だ。
 
幸せの源泉はプラシーボなんだ。
勘違いでいい。自分は幸せだと思ったら、どんどん勘違いしてしまえ。
 
ひょっとしたらそれが幸福の本質なのかもしれない。
 
なんでも鑑定団で、本物だと信じていた時はあれほど素晴らしい骨董品だと思っていたのに、三千円と評価された後は急に陳腐なガラクタにしか思えなくなっている依頼人を見るたびに、
 
真実ではなく、自分のプラシーボを信じるべきだったのに。
 
そう思わずにはいられない。
 
結婚した後に、LINEのプロフィール写真を結婚指輪をした自分の手のアップにして、ステータス欄に「世界一幸せ❤️」とか書いているバカ女こそ一番幸せなのである。
 
いや、いい意味でだから悪口とかじゃないです!!