
2018年に入って最も聞いている音楽は何かといわれれば、
間違いなく泉まくらのベストアルバム「5 Years」だ。
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泉まくらって?
キャッチコピーは「さみしくて 流されやすくて そしてちょっぴりエッチで、ラップをしちゃう普通の女の子」
いわゆる最近にわかに注目されている「ゆるふわ文化系女子ラップ」の最前線にいるアーティストだ。
こういうカテゴライズに括ってしまうと、いかにもヴィレバン好きなサブカル女子大生が好んで聴いてそうな匂いがぷんぷんしてしまうんですが、せっかくなんで聞いてみてほしい。
泉まくら 『balloon』 (Official Music Video)
デビューアルバムのリードトラックであるballoonでは、退廃的で一見楽しそうに過ごしている女の子が、他人との比較に苛まれながら、風船のようにふわふわと揺れながら暮らす日々を歌う。
若者特有の鬱屈さ、自棄っぱち感、
振り切りたくても振り切れない劣等感、過去、他者との関係性。
うまくいかない毎日に対してどのように生きていくのかもわからず、
それでもただただ生きる。
そんな等身大のどこにでもいる女の子の姿を歌い上げている。
はい。コニシ、嫌いじゃないです。
いや、むしろ好きです。はい。
RAP・HIPHOP界隈の女の子ってやっぱりちょっとイケイケでアゲアゲな女の子をイメージする人が多いと思うけど、(こういうの)泉まくらにはそういう要素は一切ない。
泉まくらの世界観とコンセプトについて
本人は顔出ししていないため、彼女のイメージはアルバムジャケット・PVのイラストを担当している大島智子の描く女の子を見て、こういう子なんだろうなぁなんて想像してしまうのも、泉まくらの世界観に一役買っている。
大島智子の描く柔らかいタッチの女の子達は懐かしさを感じさせながらも、どこか切なくて、泉まくらの憂いげのある歌声と芯のある歌詞と非常に相性がいい。
それにメインのトラックメイカーであるnagacoを中心とした作曲陣のつくる音楽も、泉まくらの世界観を存分に活かす、シンプルで心地よいものに仕上がっている。
とまぁ、泉まくらの音楽は非常に優れていると思うのだけど、泉まくらのように明確なコンセプト・キャラクターをもったアーティストってちょっと聴き手を選んでしまいがちな気がする。
その世界観を好む人がだったらダイレクトに共感を得られるけど、そこから外れた人間がまともに音楽として取り合ってくれなかったりする。
音楽そのものよりもコンセプトが印象を上回ってしまうのだ。
みんなもアーティストのみてくれや、それを好むファンそのものに辟易し、
まともにその音楽をきかなかった経験ってあると思う。
僕にもそういうアーティストがたくさんいる。
はっきりいおう。西野カナだ。
あいたくてあいたくてふるーえるーwww
ってな具合に正直、完全に馬鹿にしていたわけだが、実際聴いてみると、彼女の歌唱力・楽曲の良さに評価を改めざるを得なかった。(歌詞以外は。)
行くフェスに西野カナが出るなら、喜んで聴きます。
カナ、ほんとごめんな。
泉まくらの魅力
泉まくらの魅力は、彼女のもつ世界観の完成度だけではなく、
何よりも歌唱力(単純な上手い下手でなく)と歌詞にあると思う。
少したどたどしさを感じるような低音部と、時折混じる高音部の歌唱法が愛らしいし、歌詞においては、まるで詩の朗読のような心地よいフロウ(ラップ用語:リズムや歌い方を指す)が耳に心地よく残る。
泉まくら 『春に』 pro.by 観音クリエイション
デビューアルバムに収録されている「春に」では、望んでもいない卒業という契機を突きつけられた若者の変わることへの戸惑いと感傷を歌っている。
彼女の世界には、青春まっただ中、いかにもポカリのCMに出てくるような高校生の姿は無縁で、どこにでもいる退屈さをもてあましている若者像がある。
幸せでもないが、決して不幸なわけでもない。
そんな平凡な今時の若者が見事にあらわされている。
泉まくらの歌詞はそういった鬱屈さを否定しないし、それに無理にポジティブにとらえようともしない。
多くの人間は白黒はっきりしない曖昧さを抱えながら生きているわけで、
彼女はそれは決して否定もしないし、代わりに変な開き直りも自己肯定もない。
ありのままで過ごしていくことで、その先に何かがあるかもしれないし、ないかもしれないよ、なんてシンプルで虚飾のないまっすぐな歌詞を泉まくらは書き連ねている。
是非とも、第一印象だけで判断せずに聴いてみてほしい。
泉まくらはコンセプトに埋没しない非凡な才能をもっていると思う。
特にベストアルバムは彼女の魅力を凝縮した一枚になっている。聴いてみて損はない。
彼女の歌は特定の層に支持されているだけではもったいないと僕は思うのだ。